韓国が反日国家になったの理由。現代史を中心に解釈。

韓国が反日国家である理由は、プラザ合意(1985年)の効果が最も直接的だと考える。 その時代には、韓国が核開発を追求していた。 この過程で日本とドイツの助けを受けた。 これはその時代の日本と米国の間の不和を利用して助けられたものである。 また、当時は米国がソ連を牽制するために中国とping-pong外交を行い、米国と貿易紛争中だった日本も中国と外交関係を樹立する。 こうなると、反中的な姿勢を維持していた韓国も、親中的な姿勢に変わる。 そして、「朴正煕暗殺事件」(1973年)、「ミャンマー」テロ事件(1983年)が発生した。 その後、全斗煥(チョン·ドゥファン)大統領は核開発を放棄し、その後日本の経済低迷が発生する。 その後、盧泰愚(ノ·テウ)、金泳三(キム·ヨンサム)、金大中は大統領に当選する。 彼らは皆、大日本帝国時代を経験した人物である。 このうち金大中は、韓国民主化の中心人物だ。 同時に、民主化の過程で日米の助けを受けた。 金大中は、日本の支援に対する報いとして、1995年に日本大衆文化開放政策を実施する。 左派は親北朝鮮的で、共産主義に好意的だった。 軍事政権に反対する勢力だったので反日的だった。 民主化の過程で米国の助けを受けたが、米国の韓国に対する内政介入を目の当たりにし、反米的態度もまた持つようになった。 そして、この時代から左派民主化勢力は反米的勢力を形成し、右派(軍事政府)を継承したと主張する資本家勢力は、親米的勢力を形成する。 左派は民主化で米国の助けを受けたが、反米的態度を持ち、右派は軍事政権の後継であり、親米的態度を持つ。 プラザ合意当時、日本製品の価格が上昇すると、外国は韓国製品を代替材として輸入し、当時成長した企業がサムスンとLGのような現在の大企業だ。 米国の政策に従えば富があったので親米的態度を持つこと。 事実、軍事政権と現在の右派は関係ない。 左派は初期から反日的であったため慣性的に反日をし、右派はその成長原因が米国の日本経済の打撃であったため、確かに親米的態度を持つが、日本に対しては曖昧な態度をとる。 近代政治史は非常に複雑だ. 日本人に、この時代をもう少し客観的に見てほしい。 また、「現在、韓国で右派が当選しても、それを肯定的に見てはならない。



ここyoutubeのコメントです : https://youtu.be/oPoGFXyPqrw


ちなみにいつも努力してるキムチわさびんにはいつも感謝の気持ちを持ってます。 真の韓日友好をお願いします。



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