世阿弥と『平家物語』 ―能楽の成立と修羅能の発展―
世阿弥と『平家物語』
―能楽の成立と修羅能の発展―
パク・ジェヒョン
はじめに
能楽は、平安時代に「猿楽」として通用し始めた芸能を起源とし、時代の変遷とともに洗練され、室町時代には観阿弥・世阿弥父子によって大きく発展した。その後、江戸時代を通じて武家式楽として公的に保護され、より定型化・様式化された形で継承されてた。
本稿では、能楽成立の歴史や世阿弥による「能」の確立、さらに「修羅能」の特色について論じることで、日本の伝統芸能を考察する。
能楽の発展
平安時代以前に「猿楽」として知られた「能」はパフォーマンスや曲芸、仮面劇、寸劇などを行う芸能集団によって伝えらた。こうした集団は各地を巡業するなかで徐々に定住し、職業集団としての「座」を結成するようになった。
室町時代には、「大和座」出身の観阿弥・世阿弥父子が、猿楽を大きく革新。特に世阿弥は役者・作者・演出家・理論家の立場から猿楽を高度に芸術化し、これが現在の「能」の様式を完成させる土台となった。さらに江戸時代には幕府により武家式楽としての地位が確立され、現在まで受け継がれている。
能の完成者とされる世阿弥(1363?~1443?)は、多数の演劇理論書を著し、能の構成や演技術を体系的に記述した。例えば、彼は能の舞台表現は主に「舞」と「唱」によって成り立ち、主人公(シテ)の選択こそが作品の芸術性や舞台効果に大きく影響する説明する。単に古来有名な人物や宗教・学問の権威だけを主人公にしても舞台としての面白みは生まれないと断じる一方で、物語性や音楽・所作との融和を考慮した人物設定こそが重要と述べているのだ。1)
修羅能と『平家物語』
一般的に能は、上演順に①脇能物→②二番目物(修羅物)→③三番目物(鬘物)→④四番目物→⑤五番目物の五種類に分類される。このうち、特に注目するのが、二番目物である修羅能である。修羅能は、それまで地獄世界(修羅道)の苦しみを表現する形式が主流だったのに、世阿弥が夢幻能の手法を駆使して風雅な趣を目指す芸術へと昇華させた。2)
世阿弥の修羅能作品の多くは、『平家物語』に登場する武将たちの逸話を典拠としている。武士たちの生涯や悲劇的な最期を描くことで、当時の観客が求めていた「武家の世界観」に訴えかけるとともに、高度な歌舞表現(舞と唱)によって芸術性を高めた。つまり武士の生き様と能の幽玄美が融合し、そこに和歌的情趣をも盛り込みながら、独自の世界観をもつ修羅能が確立されたのだ。世阿弥の修羅能は武将たちの悲劇的要素だけでなく、『平家物語』に散りばめられた和歌や物語性を取り入れ、深い情緒を描き出している。3)
『平家物語』は、1240年前後までに原態が成立したとされ、その後多様な本文が派生・流布していったことが知られている。大きくは「語り本系(一方系)」と「読み本系」に大別されますが、実際にはさまざまな諸本が混在し、相互に影響を及ぼしながら発展していきた。当時『平家物語』は琵琶法師だけでなく、素人も含め広く語られていた。しかし、詞章を正確かつ大規模に取り入れるには、口承だけではなく書物としての『平家物語』が必要になる。世阿弥は舞台での「唱(謡)」を重視する立場から、実際に書写資料や複数の本文を参照した可能性が高いと考えられる。特に語り本系のなかでも覚一本とされる本文には、独自の章段削除や加筆などが見られ、複雑な変遷を辿っている。4)
猿楽の源流は大陸の「散楽」に求めている。しかし、中国や朝鮮半島の芸能・儀式、さらには山岳信仰の祭祀など、様々な要素が複合的に関係しているとする説も存在する。例えば山岳信仰の研究では、山神を祀る伝統が芸能や儀礼に取り入れられ、それが日本の古代芸能にも影響を与えた可能性が指摘されている。中国においては、秦の始皇帝が中国を統一した後、「泰山(現在の山東省)」で祭祀を行ったという記録がある《史記》。朝鮮半島の場合、新羅の第35代王である恵恭王(765~780)の時代に、恵恭王の祖先であり、後期新羅王朝の祖とされる味鄒王を、従来の「三山神」と同格に位置づけたことから、恵恭王の時代以前には山岳信仰が存在していたと推測できる。能楽の由来について、表章は世阿弥が「秦元清」という名を使用し、称している事について、これらの系譜を直接証明する明確な史料は少なく、それを「盲点」として問題視しているものの、決定的な結論は出されていないといった。5)
おわりに
世阿弥は、単なる歴史上の武将や宗教・文学上の権威を扱うだけではなく、役柄の選択と舞・唱の調和を強調することで、能の舞台表現を芸術の高みに押し上げています。現代に至るまで受け継がれてきた能楽は、歴史的・文化的背景を踏まえてこそ、その深遠な世界観と幽玄の美をより深く理解することができます。
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1) 제아미의 저술 『삼도(三道)』의 노 작법 이론 부분을 요약정리. 해당 부분을 인용하면 다음과 같다. “種とは、芸能の本説に、其態をなす人体にして、舞歌のため大用なる事を知るべし。抑、遊楽体と 者、舞歌二曲の態をなさざらん人体の種ならば、いかなる古人・名匠なりとも、遊楽の見風あるべか らず。此理を能々安得すべし。たとへば、物まねの人体の品々、天女・神女・乙女、是、神楽の 舞歌也。男体には、業平・黒主・源氏・如レ此遊士、女体には、伊勢・小町・祇王・祇女・ 静・百万、如レ此遊女、是はみな、其人体いづれも舞歌遊風の名望の人なれば、これらを能の根 本体に作なしたらんは、をのづから遊楽の見風の大切あるべし” (日本思想大系『世阿弥・禅竹』所収)
2) 김현욱, 修羅能(슈라노)와 『平家物語(헤이케모노가타리)』, 한국예술종합학교 세계민족무용연구소, 2005, 민족무용 8권, pp.210-212
3) 김현욱, 修羅能(슈라노)와 『平家物語(헤이케모노가타리)』, 한국예술종합학교 세계민족무용연구소, 2005, 민족무용 8권, p.213
4) 櫻井 陽子, 世阿弥の時代の平家物語, CHUSEIBUNGAKU, 2015, Volume 60, pp.19-21
5) 表章(1986) 能樂史新考、わんや書店、pp.16~18
《參考文獻》
김현욱, 『노(能)의 세계: 일본중세의 연극과 종교』(인문사, 2012)
김현욱. (2009). 일본연극의 기원과 도래문화. 일본연구, 11, 131-153
배관문. (2015). 일본 전통예능으로서의 노(能)의 발견. 동아시아문화연구, 61, 61-83
오현열, 「노가쿠의 원류와 향악」, 『일본문화연구』 11(동아시아일본학회, 2004)
櫻井 陽子, 世阿弥の時代の平家物語, CHUSEIBUNGAKU, 2015, Volume 60, 19-28
진시황은 정말 태산에 갔을까?..泰山石刻(2016)、<Tstory>、(URL: https://cafelight.tistory.com/443)
世阿弥と『平家物語』 ―能楽の成立と修羅能の発展― by Jaehyun Park is licensed under CC BY-SA 4.0
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